重松清さんの『十字架』を読んでみました。
“僕”とフジシュンは小学校時代からの幼なじみで、中学校でもクラスメイトです。
でも、それだけ。
親しかったわけではなく、むしろ関わりはありませんでした。
中学2年の9月4日、フジシュンは自宅で首を吊って自殺しました。
原因はいじめです。
フジシュンはいけにえでした。
同じクラスの三島と根本、堺の3人からいじめられていたのです。
遺書には、4人の名前が挙げられていました。
三島と根本には「ゆるさない」、フジシュンが好きだった中川さんには「ごめんなさい」、そして“僕”には「ありがとう」。
フジシュンは遺書で、“僕”を「親友」だと語っていました・・・
卒業して20年経ったとき、中学時代のクラスメイトを全員思い出す自信はありますか。
わたしにはたぶん無理です。
部活のチームメイトや仲が良かった友だちならまだしも、全員をずっと心にとどめておくことはできません。
けれど印象深い出来事、それも後味の悪いことなら、必ず記憶しているでしょう。
フジシュンはいのちを放棄することで、“僕”や中川さんに消えない傷を残すことに成功しました。
自ら命を絶つという行為は、卑怯でもあります。
フジシュンは残された人に、何を求めていたんでしょうか。
自分が死ぬことの意味を、どう受け止めていたのでしょうか。
復讐のために死を選んだのだとしたら、悪意すら感じます。
フジシュンは、だれよりも自分の家族を苦しめたように思います。
残された家族は助けてやれなかったことを悔い、家族を失うつらさを知っているからこそ死に逃げることもできず、よく知りもしない人間を恨み続け、前に進めなくなってしまいました。
本当に「死ぬ」しか道は残されていなかったのでしょうか。
家族に相談することは?先生に助けを求めることは?
“あのひと”だって、きっと、考えたはずです。
親なのに、気づいてやれなかった。何もしてやれなかったと。相談されなかったことで、傷ついたかもしれません。
“あのひと”は全部わかっていて、それでも“僕”を責めなければ気が済みませんでした。
死んだらそれでおしまいなのは、死んだ人だけです。
残った人に逃げ道はありません。思いをぶつける相手もいません。
ただの傍観者になっただけで、フジシュンがいじめにあった何倍もの期間、“僕”と中川さんは罪悪感を抱き続けなければなりませんでした。
ときに恨まれねばなりませんでした。
たった14歳で、逃げたり責任転嫁することもせず、縛られたまま・・・
他人の人生は、自分以上に重たいものですね。
自分の命にも、人の人生に影響力があるということを重々承知して、生きていかなければならないのかもしれません。
さて、ブックマニアでは、今日ご紹介した
『十字架』
以外にも、重松清さんの
『流星ワゴン』
『とんび』
『エイジ』
『きみの町で』
『カシオペアの丘で』
などを買取強化しております。
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2014/7/22 カテゴリ: 査定情報